11 ダイダラボッチのトゲでつくられた刺橋

2007年8月26日日曜日

小畦川で団らん中の白鷺(しらさぎ)一家

刺橋(とげばし) #1

刺橋(とげばし) #2
  • 小畦(こあぜ)川にかかる刺橋(とげばし)は、ダイダラボッチのトゲでつくられました。
  • 昔、ダイダラボッチ(大太法師)というでっかいカミサマがいました。
    茨城県の筑波山から富士山までたった36歩で歩くことができました。
  • ある時、ダイダラボッチが小畦(こあぜ)川を通りかかったとき、足にトゲがささってしまいました。
    痛くて前へ進めないので、土手に腰をおろしてトゲを抜きました。
    ダイダラボッチ(大太法師)の抜いたトゲは小畦川の中にささったままでした。
  • そのころ小畦川は、曲がりくねって流れも速く、川を渡ることができませんでした。
    村人が橋をかけようと杭を打っても、すぐに流されてしまいました。
  • ところが、ダイダラボッチ(大太法師)のトゲはいっこうに流されません。
    村人達は、大勢でおそるおそるトゲをクイにして橋をかけました。
    いざ工事に取りかかると、万事うまく運び、橋は立派に完成しました。
  • 村人たちは大喜びで、ダイダラボッチの神に感謝し、橋の名前を刺橋(とげばし)と名づけました。
  • また、ダイダラボッチがわらじのドロを落としたところは、立派な丘になり、洪水の時の避難場所や農作業時の休憩場所になりました。
    • cf.新井博『川越の民話と伝説』(有峰書店新社、1990年)

9 小畦川に見る多自然型川づくり

2007年8月23日木曜日

小畦川の多自然工法

<赤丸の部分には木のヤグラが埋め込んであります。高さは家ほどもあります。水草も生え始め、魚も鳥も集まるようになりました。手前のコンクリートの部分は、従来のコンクリート工法。いずれすべての川が緑でおおわれることが期待されます。>

  • 入間川の支流 小畦(こあぜ)川の堤防工事は、今は、コンクリートが見えない多自然工法によっておこなわれています。
  • かつての国の河川管理の考え方は、川を直線にして、降った雨は一刻も早く海に流す、というものでした。
    河川敷の中にある樹木も流れの障害になるので、削除する、というものでした。
    護岸工事は「百年確率」で設計されていました。
  • 中国では、川を治めるものが皇帝になるというぐらい昔から河川工事は大事な国家事業でした。
  • 愛媛県の五十崎(いかざき)でも、河原の榎の大木や林を撤去し、コンクリートの無機的な護岸の改修工事をはじめるところでした。
    コンクリートの護岸では、水生植物も育たず、水の自然浄化作用もはたらかず、魚もすまなくなります。
    住人の亀岡徹は、「よもだ塾( いい加減塾)」をおこし、川について勉強を始めました。
    スイスに行ったり、人口6000人の町で、「国際河川シンポジウム」を開いたりしました。
  • 川は、洪水対策のためにあるのではなく、生物の生きる場であり、散歩、スポーツの場であり、美しい自然環境によって地域の風土や文化を育てる場でもあると、結論づけました。
  • 五十崎町の住民が、建設省の河川行政を転換させました。
    今はなき、建設省の関正和もキャッチャー役として政策転換を推し進めました。
    こうして現在、国は河川には多自然型工法でのぞむようになりました
河川敷の中の木

<川中の木も切られることなく、保存されるようになりました。「まちと水辺に豊かな自然を」と五十崎(いかざき)の住民が声を上げ、国を動かした成果です。>

8 入間川サイクリングロード

2007年8月20日月曜日

入間川サイクリングロード

  • 入間(いるま)川サイクリングロードが、東京国際大学第2キャンパスの川向かいを走っています。
    全長23キロです。出発点は入間市の豊水(ほうすい)橋です。
    東京国際大学第2キャンパス近くの初雁(はつかり)橋を通り、上尾(あげお)近くの入間大橋までです。
  • ポタリング(pottering)とは、自転車でぶらぶらすることで、輪行ともいいます。
    お金をかけないで、ゆったりした自分好みの散歩やポタリングなどのレジャーが、河畔で楽しめます。
    西欧では普通のことです。
    日本でもますます盛んになると思われます。
初雁橋付近のサイクリングロード

  • 入間川は荒川の支流です。
    荒川の河川敷は日本一広く、埼玉県の3分の2は、荒川流域
    です。
    荒川は入間川と新河岸川からなります。
  • 入間川には、越辺(おっぺ)川が流れ込んでいます。
    越辺川には、都幾川、高麗(こま)川、小畦(こあぜ)川が流れ込んでします。
水源からも海からも約60キロの地点

7 入間川の支流は都幾川、越辺川、高麗川、小畦川

2007年8月16日木曜日




  • 入間(いるま)川の主な支流は次の通りです。
    • 都幾川(ときがわ)
    • 越辺川(おっぺがわ)
    • 高麗川(こまがわ)
      • 急激な増水で鉄砲水になりやすい川です。日高市周辺で高句麗からの亡命者を受け入れたのでこの名があります。
    • 小畦川(こあぜがわ)
  • これらの川が入間川に流れ、荒川にそそぐことになります。

6 荒川の2大支流は入間川と新河岸川

2007年8月14日火曜日


  • 上図は埼玉県の地図です。
    荒川の二大支流は入間川(いるまがわ)と新河岸川(しんがしがわ)です。
  • 入間川(いるまがわ)と新河岸川(しんがしがわ)の間にかつては川越県でもあった川越市があります。
  • 入間川の基点は飯能市です。かつては単独で隅田川に流れ込んでいました。
  • 新河岸川(しんがしがわ)のかつての源流は川越市の伊佐沼でした。
    川越藩主松平信綱が、多数の屈曲で流量を安定させる改修をおこないました。
    江戸と川越を結ぶ舟運のルートとして栄えました。
  • 川越のイモは、栗よりうまいといわれていました。
    「栗よりうまい13里」とは、川越から江戸まで13里(×4=52キロ)あることに由来します。

5 水の寄居町

2007年8月12日日曜日


さいたま川の博物館

鉄砲水の実験。さいたま川の博物館にて

  • 荒川は、奥秩父の山々の水を集め、北流し、長瀞の景勝をつくり、寄居町で関東平野に流れ出ます。
    このようなわけで寄居町に「さいたま川の博物館」があります。
  • 寄居町には水に関する観光名所がたくさんあります。
    風布川(ふっぷがわ)の日本水(やまとみず) は環境省の「名水百選」に選定されています。

4 甲武信岳が荒川の源

2007年8月9日木曜日


  • 埼玉を流れる荒川は、甲武信岳(こぶしがたけ)に源を発します。
  • 甲武信ヶ岳のいただきに降った雨水は、甲州(山梨)、武州(埼玉)、信州(長野)へ流れていきます。
  • 甲州、山梨では、笛吹川→ 富士川→ 駿河湾へ流れます。
  • 武州、埼玉では、荒川→ 東京湾へそそぎます。
  • 信州、長野では、千曲川→信濃川を通り→日本海に注ぎます。

3 埼玉県の3分の2は荒川流域

2007年8月8日水曜日

埼玉県の3分の2は荒川流域

荒川の5流域(源流域、河岸段丘域、扇状地域、人口河川域、都市河川域)
「さいたま川の博物館」にて
  • 荒川とは「荒ぶる川」のことで、全国に33の荒川があります。埼玉県の荒川が最大です。
  • 荒川の河川敷は日本一広く、埼玉県の3分の2は、荒川流域です。
    図を見ると荒川は埼玉県の母であることがわかります。
    母をもっと知り、感謝し、大事にしたいものです。
    • 荒川国土交通省荒川上流河川事務所
  • かつては荒川は、秩父湖→長瀞→熊谷を経て、利根川にそそいでいました。
  • 1910年、大洪水があり、そのあと荒川放水路が造られ、荒川とよばれるようになりました。
    元の荒川は、隅田川【地図】になりました。

2 埼玉県の5地域地図

2007年8月7日火曜日

埼玉県の5地域地図

  • 埼玉県は自然・歴史・文化・交通条件などから5地域に分かれます。
    • 埼玉県地域図地域創造センター参照:埼玉県地域図地域創造センター
  • それぞれの中心都市は、次のようです。
    東部地域は春日部市、
    中央地域はさいたま市、
    北部地域は熊谷市、
    西部地域は川越市、
    秩父地域は秩父市
  • 川越のある西部地域は、中央にあるのに西部とよばれるのは、昔の中山道(図の赤線)の西にあるからのようです。
    中山道は今の17号線(≒京浜東北線、東北新幹線)あたりです。
  • 川越を通る鉄道は東上線です。

埼玉県の5地域デフォルメ地図

  • 「埼玉県5地域デフォルメ地図」は埼玉県の構造をさらにわかりやすく、おぼえやすくするために、単純化したものです。

1 関東のなかの埼玉県の位置地図

2007年8月6日月曜日

関東のなかの埼玉県の位置地図


四角い関東圏のなかの埼玉県の位置地図

  • 上は埼玉県を中心にした関東7都県の図解地図です。
    都道府県は番号でも識別されます。番号は「都道府県コード」「JIS地名コード」とよばれます。
    埼玉県が群馬県の次にくるのは、このコードに由来します。
    「08:茨城県 09:栃木県 10:群馬県 11:埼玉県 12:千葉県 13:東京都 14:神奈川県」となります。